加齢はこわくない -すてきに歳を重ねるために-
~漢方医学とは~
まもなく「団塊の世代」が60歳を迎える時代になります。世界一の長寿国・日本では、これまで以上に加齢の問題が注目されるようになっています。加齢は誰にでも訪れるものですが、人によってその現れ方は違います。できることなら加齢変化のスピードを遅くして、穏やかに、健康的に歳を重ねていきたいと思うのは誰もが願うことです。
ここでは、漢方という先人の知恵を取り入れて、加齢変化を減速させ、その変化を病的な形にしないために役立つ知識をご紹介します。
「人生80年」の後半をいきいきと過ごすために、この冊子がお役に立てれば幸いです。
古典にみるライフサイクルとホルモンの変化
古代中国では男女の一生の変化を数年周期で考えていました。男性は8年周期、女性は7年周期というライフサイクルがあるというものです(表1、2)。男性は、8歳で腎気(生体のエネルギー)が充実し、16歳で生殖能力をもち、24歳で身体が充実し、32歳ごろに最も盛んな頃を迎え、40歳になると下り坂になって、48歳から56歳ごろに生殖能力、腎気の衰えが著しくなる。一方、女性は7歳で腎気が充実し始め、14歳ごろに生理が始まって妊娠可能になり、21歳で身体が充実してきて、28歳で最も盛んな時期を迎え、35歳頃からだんだん下り坂になって49歳で閉経を迎える。という考え方です。これは、1800年程前の中国の医学書、黄帝内径(こうていだいけい)にある記述です。
これを現代社会に置き換えてみたらどうでしょう。少し成熟は早まってはいますが、ホルモン分泌の変化を背景としたライフサイクルを良く現している考え方と言えます(図1)。
長くなった「老後」の時間
こうしてみると、数千年の昔も現代も、成長期から老年期に入るまでのサイクルはそれほど変っていないようです。しかし、ひとつだけ大きく違う点があります。それは老年期に入ってからの人生の長さです。表1,2では男性64歳、女性49歳以降の記述がありません。昔は老年期を迎えることが、そのまま人生の終わりでもあったのです。ところが今は、女性の平均寿命は86歳、男性79歳という時代となり、体力・気力が衰え始めてからの人生が数十年も続くのです。最近では、女性の更年期ばかりでなく、男性の更年期までもがテレビなどでもしばしば取り上げられ、その克服法が検討されています。これも、更年期以後の長い人生を送るようになった現代人が、その時間を快適に過ごそうとしていることの現れとも言えます。
加齢の速度を遅らせる?
ここまで「老年期」が長くなると、人によって歳の取り方に差がでてきます。昔のように、更年期以降にあっという間に老け込んでしまう人がいる反面、いつまでも腎気に満ちて、元気で活躍を続けられる人がいたりと、個人差が大きくなってきているのが現代の「老年期」と言えます。この個人差がある歳の取り方に対し、生まれてからの年齢、つまり「暦年齢」とは関係なく、その時の状態で評価する「生物学的年齢」という考え方があります。暦年齢がどんなに歳をとっていても、身体の機能が若々しければ生物学的年齢が若いということになります。歳は誰もがとるものですが、この生物学的年齢は、毎日の生活のちょっとした配慮で加齢の速度を遅らせることができるのです。
早ければ早いほど、治療は簡単に
加齢に伴う症状を見ると、初めはわずかな異常だったものがだんだん深刻なものになっていくのがほとんどです。こういった症状は早く異常を治すことが大事で、症状が進むほど軌道修正が難しく、ついには「病気」になってしまいます(図3)。一般に、西洋医学ではこの「病気」になった段階で治療を開始しますが、漢方治療では、それよりも前の段階の、わずかな異常も治療の対象として考えます。こうしたわずかな異常は検査値の異常としても現れてきません。患者さんの訴えを良く聞き、脈や肌や声の調子、舌や腹部の張りなどから、身体の機能のバランスの乱れを見つけるのです(図4)。
漢方の「未病」と西洋医学の「早期発見」
西洋医学でも最近は、生活習慣病を中心に、発症前にその原因を取り除く「予防医学」という考え方が重視されるようになってきました。漢方治療では、この「予防医学」が最も優れた治療であるという考え方が基本になっています。西暦600年頃に書かれた中国古典の医学書「千金要方」には、医者には上医、中医、下医の3段階があり、最も優れた医者、つまり上医はまだ病気になる前の状態(未病)を治すことだ、という考え方が記されています。これは、予防医学の考えがすでに1400年近く前からあったことを示す記述です(表4)。
近年は、西洋医学でも8割近い医師が漢方薬を使っているという調査結果もあり、現代医学の中に漢方薬が取り入れられるようになっています。予防医学の考え方の普及で、これまでの西洋医学では治しにくい症状も治療の対象として考えられるようになっている今、漢方薬の使用頻度がますます高くなっていると言えます(図5)。
漢方で何が変えられるの?
加齢に伴う変化に対し、漢方治療ではどのようなことができるのでしょうか。漢方治療で期待される効果には、脂質代謝の改善、抗酸化作用による動脈硬化の予防、微小循環・脳血管の血流の改善、消化機能の改善、免疫機能の回復、新陳代謝や基礎体力の改善などがあります(図6)。脂質代謝の改善は肥満や動脈硬化の予防といった効果があります。微小循環の改善は心筋などいろいろな臓器の負担を軽減し、脳血管の血流改善は脳卒中や痴呆の予防になります。また消化機能の改善は食欲不振を改善し、それは結果的にエネルギー摂取量を増やすことになって元気をつくります。免疫機能の回復は感染症の予防で、さらに新陳代謝・基礎体力の改善で全身倦怠感などをなくして全身状態を良くすることになります。
こうした治療は体質改善的な要素が大きいものです。脂質代謝や微小循環などは、身体の一部分を取り出して治せるというものではありません。西洋医学では悪い場所を特定してその部分を集中的に治療するという考え方ですが、これに対して漢方治療では、身体全体をひとつの世界としてとらえ、その世界の中の生命活動のバランスを整えることを目的にします。加齢に伴う変化は、全身のいろいろな機能が少しずつ狂ってきているという状態ですから、こうした身体の状態を総合的に診て、機能のバランスを改善するという考え方は加齢変化の治療に適していると言えます。
不快な症状に使われる漢方
加齢に伴う不快な症状の治療を目標に使われる代表的な漢方薬には、次のようなものがあります(表5)。これらはいずれも漢方処方のごく一例です。漢方処方は患者さん一人一人で処方が異なりますので、必ず医師か又は薬剤師に相談してから使うようにしましょう。
併用するケースも
病気や症状、患者の状態などによって、漢方が向いている場合と西洋医学を優先したほうがいい場合があります。しかし必ずどちらかに分かれるわけではなく、手術後の体力の回復のために漢方を用いるなど、両者を併用するケースも増えています。高齢者によく使われる漢方‐補剤
高齢者に特に良く使われる漢方薬をみると、「補剤」といわれる種類の処方が多いことが分ります。漢方は、「足りないものを補い、過剰なものは抑える」ことで正常な身体のバランスをとることを基本としますが、補剤はこの中で、心身のエネルギーが衰えて精神的・身体的な能力が減少しているような場合にその衰えた部分を補充する働きをする漢方薬を意味します。つまり「足りないものを補う」漢方薬の総称です。加齢は、いろいろな機能が低下する現象ですから、補剤が大活躍するわけです。ここで示した表5にある十全大補湯は代表的な補剤で、病後や術後の体力低下や虚弱体質の改善などに使われ、免疫力をアップさせる働きがあることが科学的にも証明されています。全身倦怠感が強いときにはこうした補剤を使います。
また、高齢者に特に使われることが多い八味地黄丸や牛車腎気丸は、厳密には補腎剤と言われます。読んで字の通り、腎気の衰え(腎虚)によって起きる不快な症状に対して、腎気を補うことで治療効果を発揮する漢方薬です。腎虚の症状には夜間頻尿や性欲減退、四肢のしびれやほてり、めまいや耳鳴り、抜け毛(脱毛)などがあります。前立腺肥大による夜間頻尿に対する八味地黄丸や牛車腎気丸、しびれや痛みに対する牛車腎気丸などの改善効果は、科学的にも証明されており、臨床でも良く使われています(10頁参照)。
科学的に証明された漢方治療の効果
前ページでも触れましたが、最近ではいろいろな種類の漢方薬について、その治療効果が科学的に証明されるようになっています。加齢に伴う症状に対しても、その効果が科学的に証明されており、西洋医学の医師からも認められるようになった漢方薬がたくさんあります。そのいくつかを、症状別にここで紹介します。頻尿
加齢とともに、夜間頻尿の訴えが増えてきます。こうした膀胱症状には八味地黄丸や牛車腎気丸がしばしば使われます。牛車腎気丸に関しては、膀胱の収縮力を弱めることなく、膀胱の過敏性だけを改善する作用があることが動物実験で証明されています。このことは、トイレに行きたいという切迫感は改善するけれども、いざおしっこをした時は、膀胱内の尿をきちんと出し切ることができることを意味しています。
西洋薬にも頻尿を改善する薬が何種類かありますが、この中には膀胱の収縮力を弱める作用を持つものがあって、残尿などの問題が指摘されています。これは、そうでなくても膀胱の収縮力などが弱っている高齢者には困った問題です。特に前立腺肥大があるような場合は、おしっこが出にくくなるのは重大問題です。これに対し牛車腎気丸は膀胱の過敏性を改善するだけで収縮力は弱めないのですから、高齢者には特に朗報です。
しびれや関節などの痛み
牛車腎気丸はこの他に、高齢者の関節痛や下肢のしびれ、腰痛など、痛みに関連した症状にも良く使われます。高齢者では痛みに過敏になっていることが多く、その場合には強い炎症や神経疾患がなくても痛みを強く感じてしまいます。この種の痛みには、西洋医学で使われる鎮痛薬などはあまり効果を発揮できません。
これに対し、牛車腎気丸は痛みに対する過敏性を抑える作用があることが、動物実験で認められています。それらのデータと臨床実績から考えて、普通の鎮痛薬が効かない場合や胃腸が弱くて鎮痛薬が使いにくいといった患者さんに、牛車腎気丸が良く使われます。
冷えが強い痛み
四肢や下肢の冷えが強く、腰痛や関節痛などがある場合は、牛車腎気丸のほかに当帰四逆加呉茱萸生姜湯なども良く使われますが、この漢方処方についても牛車腎気丸と同様、痛みに過敏になっている場合に鎮痛作用を発揮することが証明されています。このほかに疎経活血湯も、痛みに過敏になっている症状に対して同様の効果が認められています。
「燥」の症状に対する漢方
「乾く」ということも、加齢現象で良くみられます。.肌や目の潤いが減って、乾燥肌、皮膚掻痒症、ドライアイ、コロコロのウサギの糞のような便しかでない便秘、喉の渇き、空咳、痰が絡む、陰部の乾燥による性交痛(ドライ・バジャイナ)といった「ドライ」の症状が、加齢とともに起りやすくなります(表6)。
これらの漢方に含まれる成分は、滋潤作用があるとされる地黄、麦門冬、人参や石膏などが含まれた漢方薬が使われます(表7)。
このように、漢方は加齢に伴ういろいろな症状の緩和に効果が期待されます。しかし、漢方薬だけに頼っているのでは加齢による変化の減速はうまくできません。大切なのは正しい日常生活、つまり「養生」です。
漢方薬は副作用が比較的少ない、食べ物に近い自然の物質で構成されていますので、漢方薬の効果を相殺しないためにも食事に配慮することがまず大切です。あまり加工されていない、自然に近いものをバランス良く食べるよう心がけましょう。
また適度な運動や、ぬるめのお風呂にゆっくりと浸かる入浴の習慣なども、代謝や血液の循環を良くしたり、身体や血管のしなやかさを保つなどに役立ちます。
こうした養生を土台としてそこに適切な漢方薬を使えば、漢方薬の本当の効果が発揮されるのです。
養生と上手な漢方薬の使い方で、いきいきと加齢変化を乗り越えていきましょう。
漢方薬は副作用が比較的少ない、食べ物に近い自然の物質で構成されていますので、漢方薬の効果を相殺しないためにも食事に配慮することがまず大切です。あまり加工されていない、自然に近いものをバランス良く食べるよう心がけましょう。
また適度な運動や、ぬるめのお風呂にゆっくりと浸かる入浴の習慣なども、代謝や血液の循環を良くしたり、身体や血管のしなやかさを保つなどに役立ちます。
こうした養生を土台としてそこに適切な漢方薬を使えば、漢方薬の本当の効果が発揮されるのです。
養生と上手な漢方薬の使い方で、いきいきと加齢変化を乗り越えていきましょう。